Column

謝罪をしない人を育てる教育方針

こんにちは。
たすけ愛理事の小林です。

先日、ある人の発信で「謝罪をしない人」の事がかかれていました。

個人的には衝撃的でしたので共有したいと思います。
その家の教育方針で、
ミスや過ちを犯したら、謝罪をするのではなく、そのミスや過ちに対して責任を持つ。

つまり「謝罪をしない」という教育方針だと。
といったようなことが書かれていました。

私の読み取った理解で書いていますが、微妙なニュアンスなので、書き手の意図と違ったらすみません。

先進的(変わった?)な教育ですよね。

謝るのではなく、すぐに修正や対処をして常に前向きに事態に向き合うことが必要だと行った意図を感じます。

とても立派な教育方針だし、立派な人物になるのだと思います。

ただ、個人的に気になったので、調べてみました。
日本の謝罪にはいくつか種類があり、それぞれ意味合いが異なるようでした。

まず
「すみません」ですが、
これは「気持ちがおさまらない」といった語源だそうです。
「済む」というのは完了する、終わったという意味ですが、
それを否定しているので、たしかに「終わっていません」という意味合いになります。

次に
「申し訳ない」は、
「言い訳がない」といった意味で、自分のとった行動について言い訳がないという意味です。

次に
「御免」です。
もともと、許す人を敬う言い方ということです。
まぁ、「許してください」というような感じでしょうか。

そして、英語にもいくつかあります。
「apology」「Excuse me」「Sorry」等です。
これもそれぞれ意味合いが別々で、状況によって使い方が異なるようです。

ここからは、私の個人的な意見です。

 

私は謝ることを重要視しています。

 

なぜかというと、
それは「相手に自分の気持ちを伝える」かつ、
お互いの現実性を高めて理解をするためです。

「すみません」「申し訳ない」
という言葉に「まだ終わっていません。」や「言い訳がありません」という気持ちを乗せるわけです。

つまり、
「謝罪をする前の出来事が続いています」
ということを相手に宣言するわけです。

これを宣言することで、相手は納得してくれるわけです。

それが逆に謝罪がないと、この出来事が続いているのかはっきりしないわけですから、迷惑を被った相手としてはスッキリしないわけです。

実際に、仕事などでミスをした場合には当然のことのように「すみません」といいます。

それは、別に相手に対して縮こまるわけではなりません。

むしろ、「これからその埋め合わせをするんです」という決意表明です。

この決意表明というゴールを伝えないと相手に不理解を与えてしまうわけです。

そもそも、そういったミスをしない人であれば謝罪は不必要だと思いますが、そんなことは不可能です。

誰もがミスをしますが、それを「終わっていません」「言い訳しません」といった表明をすることで、まずはミスを自他ともに認識することが重要なのではないでしょうか。

もちろん言葉だけの謝罪は何の意味もありません。

間違いを改める態度とその後の対処が必要になります。

冒頭の「謝罪しない教育方針」が、
上記の事を踏まえた上でのことであればと思っております。

 

菅野理事長のメルマガで面白い記事があります。

ある一部の米国人の謝罪に対する考え方です。

「うかつあやまり」

「米国でうかつに謝るな!
非を認めればつけこんでくる。それがこの国だからな!」

そういう国や文化で生きている人からすると
「謝罪をしない」というのはある意味安全なんでしょう。

人を気遣うことのできない文化で生きている人々にとっては、謝ること自体が致命傷になってしまうのでしょう。

 

強く思いますが、
同じ人類として本当に情けないです。

 

「助け合う」「相手を思いやる」「人を許す」という人間としての美徳を大切にしたいものです。

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