今、世界はコロナウィルスで大ピンチです。
しかし「ピンチこそ、大チャンス」になる可能性があります。
今日は、ある「大ピンチ」を「大チャンス」に代えた話をご紹介しましょう。
昭和36年(1961年)、待つ下通信工業(現在のパナソニック)の社内で
後に『伝説の会議』と呼ばれる会議が行われました。
会議室には経営の神様、松下幸之助(当時67歳)率いる幹部社員が集められました。
その時の議題は・・
担当役員より「トヨタ自動車から当社に対して、大幅な値引き要求がありました。
松下が納めているカーラジオを半年以内に20%コストダウンするように要求して来ました。
これは松下にとって「死ね」というに等しいムリな要求です」
松下の幹部たちは困り果て言葉も出ません。
「20%のコストダウンなんて絶対ムリ」という雰囲気で皆が静まり返っていました。
そこに、松下幸之助が現れます。
ここから幸之助の伝説のトークが始まりました。
その第一声は・・「どうして、トヨタはこういう要求をしてきたんや?」
トヨタのこの要求の裏には貿易の自由化問題がありGMやフォードといったアメリカの
大メーカーとの価格競争が本格化し、このままでは日本の自動車産業そのものが
滅んでしまうという危機感がトヨタにはありました。
「そうか。そういうこっちゃな。
でも、よく考えてみい。松下がトヨタさんの立場だったらどう考えるかや。
やはり、同じ要求をしていたかもしれんな。
君らは無茶な要求やと驚いてるが、トヨタさんはどうや。
どうすればコストダウンを達成して、日本の自動車産業を発展させていくことが
できるかという危機感でいっぱいやろう。
いわば業界全体、 さらには国のためを考えてるんや。
これは、松下一社の話とは違うんや。
ここは『できません』と断ってはいかんと思う。
なんとしてでも、値を下げなければならんやろ」
幸之助のこの発言に対して、幹部の一人は・・
「しかし、トヨタの要求はまず5%、半年後に15%。計20%という無茶なハードルです」
それに対して幸之助は次のように返した。
「コストダウンというのは5%、10%を目標にしたらかえってできないんや。
20%となると決めると、もう小手先の知恵ではどうにもならん。
発想を全て変えないとできん。
大きさを半分にしてしまうくらいの発想でないと、これはできんわな?
これは単に値引き要求を受けたというだけのことではないんや。
日本の産業を発展させるための公の声だと受け止めなければならんのやないか?
もし20%の値引きに耐えられる製品ができたら、どうや?
トヨタさんだけやなく世界で通用する製品になるんやないか?」
ここで、会議室の空気は一変しました。
この会議に参加していた幹部の一人は・・
「最初、みんなが困惑して淀んでいた会議の雰囲気が
ぱっと晴れたかのように明るくなった」と語っています。
「これができたときには全世界の会社が売ってくれと飛んでくるで。
そう考えると、これはピンチやないな。これは松下にとって飛躍への天佑やな。
チャンスやと思わんか? ありがたいことに出来たら買ってくれるという
先まで決まってるんや。こんなにありがたいことはないで。
普通は納入先を探さなあかんのやからな」と幸之助が語り終える頃には
「やります!やります!きっとやり遂げます」と幹部一人一人の気持ちは、
燃えあがっていました。
最後に幸之助は幹部に向かって「よし、その調子やで。
ところで、いま利益はどのくらい出とるんや?」と尋ねると・・
幹部は「3%です」
「なに!? 3%やて? 少なすぎるで、それは」
数分前まで深刻に困り果てていた幹部が、やる気になり
そして最後のこの会話で笑いが起きました。
その結果「松下は、コストダウン20%を達成。
そして、本気になって協力してくれた松下の心意気にトヨタも販売台数という形で答えた。
つまり、コストダウン20%したにもかかわらず、以前よりも松下の利益が増えたのです。
やる気があり、笑いもある。
そんなところには、天使が舞い降りるのです。
まさに、この瞬間、松下通信工業がカーラジオのトップメーカーへ踊り出たのです。
松下幸之助は、次の様に言っています。
「人間は行きづまるということは絶対にない。
行きづまるというのは、自分が“行きづまった”と思うだけのことである」
「好景気は企業が伸びる。 不景気は人が伸びる」
この「大ピンチ」は、私たちの「能力を伸ばす大チャンス」なのです。
ですから、どんなピンチの中でも「やる気」と「笑い」を持って
一緒に、このピンチをテコに『たすけ愛』で、大躍進しませんか。
皆様方の益々のご繁栄と、ご多幸、ご健康を祈っております。
感謝 合掌
『一般社団法人 たすけ愛』 代表 菅野宏泰